モドル
2011xxxx

小説プロット


最新更新分へジャンプ

作品タイトル: フォルティティシモ(仮)

※今後長編小説として書く内容の一部です。ここから肉付けして小説の形にしていきます。
※面白かったところとかあったら教えてくれると超ハッピー。
※わかりにくい部分とかあったら教えてくれても嬉しいです。
※面白くない部分とかあったら教えてもらえてもOKさ!
※わざわざこんなの盗んでく人もいないと思いますが、著作権は私にあります。ねんのためね。

***

序. 真夏の夜の夢

景色全てが黒く塗りつぶされた夜の森で、人影が枝の上を音もなく駆けて行く。さらに、続いてそれを追う2つの影も。彼らが足場とした枝が揺れる音のみが、ここが森である事を示している。目には何も映らない。それほど暗い夜である。しばらく風のごとく吹き抜けていた影たちであったが、ふとした瞬間に落下音が。追う影のひとつ……茄子丸が振り返ると、共に追っていたはずの影が消えている。
「斗的丸!」 隣にいるはずの者は地に姿が見えた。その足からは苦無が生えている。驚愕に目をむくと、瞬間、背後から耳元に息遣いを感じた。背筋が凍る。前を走っているはずの影が、ない。次の瞬間「邪魔するやつは……こうだ!」 の声と共に激痛。耐えられず落下する茄子丸。その尻の割れ目からは、やはり苦無が生えていたという……。

***

1. ゴッドスピード!

あまりにものどかすぎる高校の放課後の風景。校庭で運動部が練習し、帰宅する生徒達の喧騒が満ち、イヌがワンと鳴く。どこをどう見ても全てがのどかでできている景色。に見えた。が、突然校舎でゴゴゴ音が。窓は砂埃のようなもので埋め尽くされ、中を窺い知ることはできない。いったい何が起きているのか。

「どいてどいてー! どーきやーがれー!」 少女が轟音とともに駆けている。「どかないと痛いですよ! 豆腐のカドに小指をぶつける十倍以上は痛いんです! でも当方では責任を負いかねます! この物語はフィクションです! 登場する人物・団体・地名などは一切関係ございません! 悪い子はいねがー!」 その小柄でぺったんこな女子は、身の丈に合わぬ大きな箱を抱えたまま、砂埃を派手にあげつつ全力疾走している。なんかいろんな事を叫んでいるが、あまりにスピードが早いので誰にも聞こえていない。

あっ今人をハネた。「どぅッ」 くぐもった声があがる。それがちょうど「ド」 の音程だった。だが人をハネても少女はお構い無しだ。どけと言ってる割にどくのを待つ気がまったくない。「れぅッ」 レ。「みぃッ」 ミ。次々にハネる。「ふぁシャウッ」 ファ#。「あっ、惜しいっ」 初めて少女が反応した。
しかし少女は止まらない。校舎の廊下を右から左へ、端に行ったら階を変え、また端から端まで。校舎を砂埃で埋めていく。そうして、ひとつの校舎を土色に染め上げたところで……止まり。しばしあたりを見回し、困惑の表情を浮かべる。「えーーー……と。」 時が流れる。そして、叫んだ。「音楽室ってどこですか!」

そう少女は音楽室を探していたのであった。「隣の旧校舎ですよ」 近くにいた親切な人が教えてくれた。「ありがとう!」 少女ははじけるような笑顔で、大きな声で礼を言うと、再び旧校舎へ突進していった。親切な少年はあわれ跳ね飛ばされ、壁にたたきつけられて昏倒した。感謝とは何だろう。
そうして旧校舎でも爆走して、ついに音楽室を発見した少女。急ブレーキをかけ止まりながら豪快に扉を開ける。バン!「たのもう!」 返事はない。というか人影がない。……音楽室はもぬけのからであった。「あれっ」 ……少女は再び校舎でハリケーンと化した。「職員室ってどこですか!」

「ない……ってのは、つまりどういう意味で?」 「いや、ないって意味なんだが……」 職員室にて、担任の男性教諭と押し問答する少女。「ないじゃないですよ! ないって言っちゃったら、その……ないじゃないですか! 在れ!」 「いや、だから登呂、落ち着いて聞け。あのな、な い ん だ よ! 天地創世じゃあるまいし、それでできたら良いんだけどなあ」 まったく進展は無い。少女はぐぬぬ、と策にはめられた武将のようにうなった。
この、登呂という名らしい少女は、スイソウガク部を探していたのだ。彼女は本日をもってこの学校に転校してきた、転校生だった。前の学校でもスイソウガク部に入っていたので、今度もそうするのだと、当たり前のように決めていた……のだが。この学校にはそれがないらしい。なんということだ。なんということだ。

とはいえ押しても引いてもないものはない。困った困った困った。そんな登呂と担任の視界に……突如として赤い飛沫が侵入する。「無いのなら、作るしかない!」 「教頭!」 担任に教頭と呼ばれたこの大柄な男は、血潮タギル先生。この学校の教頭にして、熱血教師すぎて血液が常に沸騰しているという迷惑な存在である。彼は主張する。「そう作るしかない。作らねば部はなく、すなわちスイソウガクはできないのだから!」 血飛沫が舞う。

「いや、言うほど簡単な事ではないと思いますが……」 担任は冷静にしぶった。しかし登呂は。「……ホントだ!」 何やら感銘をうけてしまった様子で「やります」 即答した。「あのな、わかってるのか、スイソウガクだろ。人を集めるだけで何ヶ月かかるか……」 なおも常識的な意見を述べる担任であったが、「作らなきゃスイソウガクができないなら、やります」 「だってスイソウガク部がないと、スイソウガクはできないのですから。それじゃ意味ないんです!……それ以外に、私の高校生活はありません!」 即断であった。「いいだろう! 気に入ったッ! ならば校長室に案内しよう。ついてこい!」 教頭が賞賛する。血飛沫が舞う。そして、教頭と登呂は連れ立って出て行ってしまった。「うおおお!」 「うおおお!」 超うるさい。担任教師は頭を抱えた。

教頭の話によると、この学校では校長が絶大な権力を持っており、部活動を設立する可否についても校長の一存次第だという事だった。なので、早速校長の許可を取りに行こうという事なのだ。「一応、俺もできるだけ協力してやろう!」 「というか、教頭のパワーで押し切れそうな感じですよね! 教頭、ドラゴンとか倒せそうですもん! 今までに熊は何頭殺しました?」 「いや……俺はこう見えて常に貧血気味で……、弱い!」 教頭が堂々と言い放つ。血飛沫が舞う。言われてみれば、これだけ血が飛んでたら貧血にもなるわな。

そんな会話をしながら校舎を進み、教頭はある部屋の前で足を止める。そこには「番長室」と書いてある。ん? 「番長! 私です! 入ります!」 教頭が言う。おい今、番長って言ったぞ。間違いなく言った。教頭がドアを開ける。
その散らかった部屋の最奥にしゃがみこんでいたのは……上半身裸の上にサラシを巻いて学ランを羽織り、裸足にゲタをはいている男。髪はガッシリとリーゼントにまとめられていたが……それが、白髪だった。顔にも多くのシワがきざまれている。どう見ても50代がいいとこだった。タバコをくわえ、煙を吐いているが、これは合法だろう。

「おう何だ、血潮と、お前は……ああ、転校生か。何か不備でもあったか」 確かに見た目番長のようなその老人が、メンチを切りながら言う。登呂はわけわからん、という顔だ。そんな登呂を見て番長も「わけわかんねーって顔だな。まあそりゃそうか」 と。まあそりゃそうだ。男は、事情を説明してくれた。彼は高校時代、番長になるという夢を抱いていた。しかし不良のいない上品な進学校だったのと、制服がブレザーだったためにその夢は叶わなかった。しかし彼はあきらめなかった。番長になりたかった。進路希望にもそう書いたし、大学に入ってもそう思っていた。そして彼はひとつの結論にたどり着く。今からでも番長になる方法。自分で学校を作れば良いのだ……! そう、この男、校長にして番長!

「――それに気づいてからの俺は、もう一直線よ……聞かせてやろう、武勇伝の数々「あ、そういうのはいいです」」 登呂はサクッと遮った。よくわからんが事情は飲み込めた。だが今はそんな話をしにきたのではない。「番長! 登呂が、話があるそうです! 聞いてやってください!」 血潮先生が大声で申し立てた。血飛沫が舞う。登呂は一歩前に進み出た。「スイソウガク部を、作りたいんです! いいですよね! ありがとうございます!」 「早い早い早い」

残念ながら番長は簡単に首をタテに振ってはくれない。彼が言うにはこうである。部活を設立するのに、人数だ顧問だ部室だと細かい条件で口を挟むつもりは毛頭ない。彼を納得させるには……力を見せること、充実した活動ができるという事を示すことである。実力主義こそがこの学校の掟であった。では、いま登呂が見せるべきものは何か。スイソウガクにおける力。すなわち。「その箱……それが得物なんだろ? ちょっと見せてみろや」 校長は威厳とともに言った。登呂は少しためらう様子を見せたが、「わかりました」 そう言って、持っていた大きな箱を下ろした。彼女の得物。それはもちろん、楽器である。

登呂は箱を開き、パーツを取り出して楽器を組み立てる。組み上がったのは、長いU字管をもつラッパ……トロンボーンだ。「じゃ、いきまーす」 登呂は楽器を持ち上げて口元に当てると、息を大きく吸い込んで、音を出して見せる。  ……炎が踊った。
比喩ではない。実際の本物の炎がトロンボーンの延長軌道にゆらめいた。もちろん音は出ている。音は出ているが炎も出ていた。炎はすぐに部屋を満たしてゆく。やがて番長室を覆い尽くした炎は、他の教室にも姿を見せ始めた。職員室では今年赴任したばかりの女性教師のスカートに燃え移り、1−Bでは自分の眠れる力が覚醒したと勘違いした生徒が叫びだし、管制室では年老いた艦長がもはやこれまでかと静かに目を閉じ、そして理科室では今まさに化学部が実験のためにガスの栓を開けたところだったので、うわあ!   ボーン。

番長室の天井のスプリンクラーが降らせる雨に打たれ、学校中に響き渡る警報を聞きながら番長は思った。こいつは、確かな実力を持った表現者だ。頭の中のイメージを形にするのは簡単なことではない。例えば彼自身、思い描いた番長というものを自らが体現するまでに三十年以上かかってしまった。しかしスイソウガク使いは、適切な技術をもって楽器を操れば、イメージしたものを実体化できるのだ。これは学生レベルでも一人前の実力があれば可能なことであり、たまにテレビなどでも紹介されるちょっとした常識だ。つまり目の前の少女にはそれが可能なのだ。なお、このようにスイソウガクは危険を伴うため、普通は「防音設計」の音楽室以外では行わない。

同じくスプリンクラーでずぶ濡れになりながら、登呂は薄っぺらい胸を張る。「どんなもんですか! 矢でも鉄砲でも戦車でも持って来いですよ! フン!」 血潮先生は血飛沫とスプリンクラーによって紅い蜃気楼と化し、存在がわからなくなっている。番長はフッと笑うと、目を伏せ……何かを決意したようにまっすぐ登呂の瞳を見ると、ゆっくりと想いを声にした。「お前の力はわかった……いいだろう」 「……じゃあ!」 「ああ」 大きくうなずいて。「これからは、お前が番を張ると良い」 「いや、番は張らねーよ」 登呂は素で返した。

***

2. ウィークエンド・イン・ニューヨーク

放課後の校庭でたたずむ登呂。あの後彼女は、スプリンクラーでお腹が冷えたのですぐさまトイレにかけこんだ。そして校庭に出た。ずぶ濡れなのである。制服のブレザーも着ずにブラウスとスカートという出で立ちだった彼女はスケスケもいいとこだった。乾かす必要がある。だって普通に恥ずかしい。なお、本日急に転校してきた彼女は、着替えるためのジャージなどはまだ用意できていなかった。イエーイ。

校舎の入り口の階段に座り込んでぼんやりしながら登呂は考えた。部はできた。次は人だ。ああは言ったが、正直簡単に集まるとは思えない。楽器というのは敷居が高く見えるものだ。部がなかった学校ならなおさらだ。おまけに彼女が好きな、演ってみたい曲などは、人数が60人とか必要なのである。うーん。ちなみに転校初日だから友達とかも全然いない。うーんうーん。

えーい、いいや! 悩んでたってしょうがない! 登呂は思考を打ち切った。景気づけに好きな音楽でも聞こう。それがいい。彼女はスクールバッグから年代物のポータブルMDプレーヤーを取り出した。現代においてはもはやオーパーツとでも呼ぶべき代物だが、彼女にアイポッドなんて未来機器を買う金はない。録音だってできるので便利だ。ピ。再生ボタンを押す。音楽が疾走を始める。ハチャトゥリアン作曲の「剣の舞」だ。スピード感のある激しいフレーズが駆け抜けてゆく。トロンボーンも大活躍だ。登呂はヘッドバンキングを始めた。曲はダッシュし、ジャンプし、時に飛び降り、暴走する。彼女にとってこの曲はロックなのだ。

様々なタイコ郡が激しく躍動し、曲はクライマックスを迎える。派手なシーンだ! 登呂は動きを大きくする。ああ、もしここがコンサート会場であったなら! ここで、実体化した、光が!  ピシャアァァン。
「んン!?」 本当に光が目に入り、登呂はのけぞった。上からだ。見ると、校舎の屋上から光が放たれたように見えた。もちろん通常そんな事はありえない。あれっ。もしかして。屋上に行けば! 服が早く乾くんじゃね。登呂はそこに思い当たった。日当たりも良さそうだし、人気も少なそうでなお良い。よし。彼女は屋上へ移動することに決めた。

屋上に出る直前の階段の踊り場で、登呂は足を止めた。音がする。さっきはイヤホンをしていたから気づかなかったのか。音はメロディーを持ち、曲の体をなしていた。短いフレーズが、堂々と流れた。聞き覚えがある。ガッ! 登呂は扉を勢いよく開けた。これは! 「必殺仕事人のテーマ」だ!
そこには、フェンスを背に直立している人影があった。学ランを身にまとった長身、はっきりした目鼻立ちの美麗な顔つき。イケメン……そうイケメンだ。長くサラリとした金髪と、学ランを不自然に押し上げる豊かな乳房がなければそうだろう。あっ、女だ!? 顔を見てから胸を見ると思わずのけぞってしまうくらい、アンバランスな女子だった。体のラインも美しいし顔だってカッコイイのだけれど。纏う雰囲気も、堂々としてたくましい。もっともそれは登呂もだったが。

しかし、最も注目すべきは、まず彼女の左手に握られているのが、小型のラッパ状の楽器……トランペットである事と。そして何より、背景に雷を背負っているということだった。本日は快晴である。雷からの逆光で影となる彼女のシルエットは、それは文句なくカッコ良かった。
「あ」 金髪の女生徒が声を発した。声色には若干の驚きが混じっていたが、表情は不適な笑みを浮かべている。「今の、見てたっしょ?」 登呂は黙ってうなずいた。「どうだった?」 「へ」 もしや互いに楽器を嗜む人間とわかった上で感想を求められたのか? 登呂が演奏者の見地から感想を返そうかと思いをめぐらせたところで、相手から思わぬ追撃がきた。「殺れそう!?」 「は」 何だって。

「悪徳の限りを尽くす者どもに、正義の鉄槌を下す……一度はやってみたいじゃない! 今まさに、それができそうな気がしてるの!」 ええと。登呂は決して出来の良くない頭脳を回して話に追いすがる。そういえば、さっきこいつが演奏していた曲は……。「ああそうそう、それと、もう一つ聞きたいんだけど」 だが彼女は勝手に話を続けて。「知り合いに悪代官とかいない?」 「悪徳高利貸しでも可!」 ここで登呂の脳がスパークした。こいつの話に耳を傾けるのはもういい! それより、こっちにも聞きたいことがある。

「……楽器」 登呂は口を開いた。「その楽器は?」 「あ、これ?」 こちらは質問に答えてないにもかかわらず、女生徒はあっけらかんと答えてくれた。彼女によるとこうだ。いつものように彼女が、地元の楽器店のショーウィンドーに飾られたトランペットを物欲しそうに眺めるという遊びに興じていたところ、通りすがりの紳士が「古いものだが」と言って、なんとタダでくれたらしい。それが三日前の話だという。そして彼女はまたいつものように学校の屋上でこのように世の悪党の存在を憂いていたところ、そういえばテーマソングが必要だという考えに至り、演奏してみたところここで背景に雷が落ちれば完璧なのになあ、と想像するに至り、すると、先ほどの雷が落ちたのだという。

「な……なんですと……?」 リアクションしながら、登呂の脳裏を「天才」という言葉がよぎった。楽器を手に入れたのが三日前。しかし、先ほど彼女が吹いてみせたテーマソングは、すぐにそれとわかる程当たり前のように、説得力をもって表現されていた。あまつさえ雷まで出たのだ。それこそ彼女が類稀なるイメージ力を持つことの証明であった。よくわからん……まったくもってよくわからん奴だが、はっきりしているのは。こんな都合の良い奴を、スイソウガク部に誘わない道理はないっ!

「よしわかった! 一緒に楽器やろう! じつは私も、こんなのやってるんだ」 手持ちの大きな箱を示す。「その雷だけじゃない。もっと、もっとスゴイものだって出てくるんだ。たっのしいぞ〜」 登呂は一方的に勧誘を開始した。その唐突な誘いに、「お……おおっ!?」 と金髪は興奮気味に反応する。「せ……青春のニオイがする……!」 顔を上気させる。想像以上に好意的なリアクションである。だが彼女はぶんぶんと首を振ると、「いや……! これはアレを言うところだ……!」 勝手に一人で何かを納得し、右拳を突き出して。「欲しいものは……コブシで手に入れろ!」 ズバンと言い放った。

初対面の、自分よりはるかに体格の劣る登呂に対しこの提案である。一貫して次元の違う世界を生きている女であった……が、これに対し登呂は。「ほー……ほー、ほー!」 ニンマリと笑って、「ホントにそれでいーんだね!? オッケーオッケー」 あっさり首肯した。金髪も応じる。手に持っていたトランペットをゴトリと床に置くと、「話が早いね! だが私は負けない。 『ドラマチック部』主将、虎飼エリの名にかけて貴様を冥土に送ってくれる!」

合意は成った! 登呂がコンクリの床を蹴って金髪に飛びかかる。金髪も長いリーチを活かしそれに応じる! 豪腕がうなる。「チェストォォー!」 その拳はすでに登呂を捉えていた! 「お……?」 だが当たった拳の手ごたえが無い。殴ったと見えたのは登呂が着ていたブラウスだ。中身がいない! 「へっへっへ……」 耳元に嫌らしい息づかいを感じる。拳を突き出した虎飼エリの、その背後! エリの背筋に緊張が走った時には、すでに彼女の首に腕が回されていた。

なんとエリの背後には、ブラウスを脱ぎ捨てた登呂がすでに回りこみ、長身のエリの背中に抱きつく形でスリーパーホールドの構えを見せている! その上半身は素肌にシンプルなブラジャーのみ。なんということか、どう見ても不必要なブラ! 超絶的背伸び! だが仮にも高校生である以上……いやそれはともかく。一瞬にしてここまでの芸当をやってのける、登呂の高校生離れした運動能力によりエリは早くも追い詰められていた。首筋にぐっと腕を押し付け、いつでも締められるという事実を示しながら登呂は言った。「私の勝ち……で、いいよな?」 同時にエリも己の勝ちのない事を悟ったのである。エリは答えた。「……殺せ」 「いやいやいやいやいや」

これは武士の果し合いでも武闘家の決闘でも闇の賭博場での麻雀でもない女子高生同士のケンカだし、賭かっているのも生命や内臓や小指じゃなくてスイソウガク部への入部である。エリは大声で言う。「敵に情けをかけられて生き恥を晒すなど耐えられない! 後生だ! ひと思いに殺せ!」 その目には鬼気迫るものがある。登呂は困り果てた顔になった。(め、めんどくせえ……。) こいつ勝負をなかった事にして逃げるつもりなのか? だが目が本気だ。かといってもちろん殺すわけにもいかない。いったいどうしたもんか……と、そこでふと、登呂の脳裏に先ほどのエリの台詞がよぎった。『ドラマチック部』 主将!

まさか。登呂は恥ずかしそうに口元をむずむずさせながらも、台詞を吐いてみた。「……い、命を粗末にするな」 「!」 「貴様の腕、殺すには惜しい、これからは私の元で腕をフルウガヨひ」 ひどいダイコン芝居な上に最後噛んだ。だがエリは口の端から笑みがこぼれるのを隠す事もできない様子でニヤつきながら、「……後悔するなよ、いつか貴様の寝首をかいてやるからな」 と言った。満足そうだ。ちなみにもちろん、その間も登呂はブラ姿だったのだが、それは気にしない方針なのだろうか。「……好きにしろ」 話がついたとみえて、登呂はエリの首を解放して着地した。

「いや、いや、ホント、君にならついていくとも。なんて話のわかるやつだ!」 素に戻った様子のエリが笑顔を向けた。そう彼女はドラマチック部主将(部員は彼女のみ)。脳がしびれるような物語的名シーンを体現するのが大好きという趣味なのだった。演劇部にでも入れという気がするが、彼女は脚本通りではなくリアルな生活の中で体現しなければ意味がないと考えていた。そして彼女は今、そのための新しい材料を見つけたところなのだ。「スイソウガク部だよね? 青春だ……名シーンの予感がするぜ! 俺達の戦いはこれからだ!」 部活動。ここでしか実現できないシーン、セリフも多くある事だろう。今後の展開をひとり妄想し、エリは目を輝かせた。この豊かな情緒と想像力こそが、楽器での雷の現出をも可能とした表現力の源泉なのだろう。

「そ、そう……いや、それはよかった! エリさんだよね、よろしく!」 厄介な奴を拾ったのではという疑念を押し殺して登呂も笑顔を返した。なにしろ才能は本物なのだ。「うん、よろしく! あ、えーと……そっちも名乗りたまえよ、そういえば」 そうだそういえば登呂は名乗ってなかった。「あ、そっか。ごめんごめん」 そうして、彼女は、自分の名前を名乗ったのであった。

「登呂爆美(とろBOMBみ)」 「え?」 「ん?」

***

3. 組曲「惑星」

「そんで今日はどうするよ、ボム美ちゃん」 虎飼エリは隣の女子の頭をポムポムと叩きながらけらけらと笑った。登呂と拳を交えた翌日の放課後、教室にてである。隣の女子というのはもちろん登呂……爆美にほかならない。驚愕のこの名前は、略すと「トロボン」となるので彼女は自身の楽器とも引っ掛けてこっちで呼んで欲しかったのであるが、その願いは一瞬で却下されてしまいエリは面白がって「ボム美」と呼ぶ始末である。エリはかなりフランクな性質のようであった。

エリは放課後になったので、隣のクラスである登呂の席まで足を運んでいた。2人とも同じ1年生だったのだ。そしてさっそく「部活動」を行おうというのであるが、登呂は本格的に活動する前に、もう少しメンバーを集めたいと考えていた。彼女の目指すスイソウガクは合奏規模である。2人になった程度ではほど遠いのである。今はまだ勧誘のほうに時間を割くべきだろう。それをエリに伝え、今はこうしてその方法を話すために集合したところだった。「しかし、地道にビラでもまく以外に思いつかないなあ……」 「廊下で演奏パフォーマンスするのは?」 「それは危険すぎる」

なんてこった、スイソウガクの破壊力の不便なことよ……。せめて野外であれば許可も下りるだろうか? 登呂はそんなふうに思案し、帰宅部たちが下校してゆく校庭に目やった。と、すぐに目をみはり、窓から身を乗り出した。ひとつの人影に目を留める。バカな、なんだってこんなに都合良く……? そこには、大型楽器のケースと思われるバッグを背負い、下校してゆく女子生徒の姿があったのである! 「……エリちゃん」 「おう」 「あれ、捕獲するぞ」 「がってんだオヤビン!」

ここで時はその日の朝に遡る。場所は、その楽器を背負っていた女子生徒の家。その少女は銀髪に真っ白な肌、青い瞳。外国の血だろうか。彼女は白飯に味噌汁と純和風の朝食を取りながら「目覚めよTV」 の占いを見ていた。アナウンサーが占いの順位を読み上げる。『そしてザンネン! 本日のワースト1は……うお座のアナタ! もう死んだほうがマシって感じです!』 「えーっ」 女子生徒は声をあげた。『でも大丈夫、ラッキカラーは……シルバー! 銀の小物を持ち歩くと多少マシかも!』 「銀……ねえ……」 女子生徒は考え込んだ。銀のアイテム。学校ではアクセサリーは禁止だが、持ち込めるような物で、ひとつ心当たりがあった。だが、それは、ちょっと小物というには大きすぎるのだが……。

そう彼女が選んだラッキーアイテム、それは銀色に輝く管をぐるぐる巻いて作られた、その名もユーフォニアムという金管楽器。いやーたまたま持っててよかった! はっはっは。だが大きさがちょっとしたトランクくらいある。背負えるケースに収納しているとはいえ、重量も金属の塊なのでそれなりだ。「うーん、やっぱり持ち歩くモノじゃないなあ……。普通につらい。なるほど、こりゃ運勢ワースト1!」 いや、重さで苦しんでいるのは明らかにそのラッキーアイテムのせいなのだが。放課後には、彼女はすっかり後悔していた。仕方なく帰途に着く帰宅部の彼女の足取りは重い。背中も重い。しかし彼女の不運は終わらない。校門を出んとした彼女の前を、突如として大柄な影がふさいだのだ。

「待てーい!」 その金髪で学ランという異様な女子は、威容をたたえて仁王立ち。校門を通り抜ける隙間もない。顔も名前も知らないが……。いったい何者なのか知らないが、こういう手合いは無視に限る。彼女は判断した。するとどうだろう、気がつけば彼女は金髪女の後ろをスタスタと歩いているではないか! まるで幽霊のごとき通り抜けである。しかもあの重い楽器を背負ったまま! 「……えっ、ええエ!?」 あわてて振り返るのは虎飼エリだ。つくづく後ろをとられるでくのぼうである。大慌てて再び回り込む。「ちっちくしょうノリの悪いやつめ! ここを通りたければ……私を倒してからにしてもらおうか!!」

「え、ええーーー……。」 大きな楽器を背負った女子生徒はリアクションがない。いったいどんな理由があれば、見知らぬ女子生徒を足止めして四天王ごっこになるのだろうか。それは誰にもわからなかった。さてどう逃げたものか。モチロンもう一度、先ほどのようにスルーしてもいいのだが、追いかけられる。そうした思慮により彼女は足が止まった。それこそが強襲者の狙いとも知らずに……! 隙を察知したエリが「どうした、怖気づいたか!」 と髪をかき上げる。その仕草が事前に決めた合図だ! 近くの木の上で登呂は目を光らせ、枝を音もなく蹴って飛び降りる。ちょうど相手の頭上をとった位置で……! その降下には一切の気配がない。やはり一般の女子高生にはどうやっても不可能な芸当である。完全に、捉えた!

一瞬の後。エリが目にした光景は驚くべきものだった。登呂が着地したその位置に、楽器女子がいない。また謎のスルーをされたのか? いや、進行方向にも彼女の姿は見当たらない。消えた! 完全消失!? そしてなぜか、登呂が木の上では着ていたハズのブレザーが脱げており、それは地面にあった。なんと背中の部分に穴が開いている。当然先ほどまでは存在しなかった穴だ。「や、やられた……!」 登呂がうめく。右肩をおさえている。かすかに血……なんと血! がにじんでいた。いったいこの一瞬に何が起きたのか?

答えはこうである。樹上から目標めがけて降下した登呂は、何かが飛来する気配を感じ取る。そこですかさず、ブレザーを身代わりにその場を離脱。エリに対して使ったのと同じ動きだ。「何か」 はブレザーを貫通し消えた。そして再度目標に向かおうと目を向けると……そこには既に彼女の姿がなかったのである。忽然と消えていた。と、再度何かが飛来! これは登呂もかわしきれなかった。「何か」 が肩をかすめてゆく。それが、ほんの瞬きひとつほどの間に起こったのだ。

完全消失、これは怪奇現象以外の何物でもない! さらに飛来する謎の物質。恐怖が2人を支配する。何が起きたかわからないが、いや、わからないがゆえにコレだけははっきりした。手を出して良い相手ではなかった!! 「「ま、負けました……」」 2人はここで負けを認め、がっくりとうなだれた。ほんのひとときの間、静寂。そして。「……いったい、何なんですか」 2人が顔をあげると、そこには先ほどの楽器女子の姿がふたたび出現していた。無機質な目が2人を見下ろす。けして運動が得意そうには見えない痩せた肢体が違和感を煽る。いかなる仕組みかは不明だが、2人の動機くらい聞こうとでも思ったのだろうか。それに答え、観念した2人は涙目で素直に申し上げた。「いや、その……」 「……スイソウガク部入りませんか」 「…………。」 まさかの勧誘! 勝利したはずの女子生徒は困惑の表情を浮かべた。浮かべるしかない。

2人は事情を説明した。昨日、転校してきた登呂によってスイソウガク部が創設された事。絶賛部員募集中である事。すると楽器を背負っているあなたを発見しましたという事。昨日もケンカで勝ったら部員が増えたので、なんとなくそういうノリで襲撃してしまい、その点に関しては平伏して陳謝したいという事。それらを2人は土下座の姿勢で語った。「そしてあらためて申し上げます。なにとぞ、スイソウガク部に入りませんか」 しかし勧誘はあきらめていないのだった。女子生徒はうーんと考える。ところで、と登呂は続けた。「なんで部活もないのに楽器持ってたんすか?」

女子生徒は説明した。今朝の占いが、と。銀のアイテムが、と。「ああ、うお座は最下位でしたわなー」 エリが口を挟んだ。「私もうお座だから最下位だったし。通りで今日も遅刻寸前にパンくわえて登校したのに何もなかったよ」 あいかわらずのドラマチック部。それに対し女子生徒は驚きの声をあげた「あなたもうお座なんですか!?」 ん? そこに食いつくのか。「え、うん、誕生日が3月1日だし……」 エリは返すが、相手は合点がいかない様子だ。「誕生日? 何のことですか?」 「いや、星座って誕生日で決まるんでしょ?」 「?? いや、あの、私は」 女子生徒は困惑を浮かべたまま、「うお座の出身ですから」

「……んん?」 登呂とエリは同時に首をひねった。うお座の出身。この言葉が意味するところとは。と。「ああっ!」 そのうお座の女子が声をあげた。「通りで運が悪いわけですね……よく考えたら、これ、厳密には銀じゃないですもん」 持っていた大きなケースを開けて、中を確認する。そこには確かに、ユーフォニアムの楽器が収められている。しかし、銀というには渋みがないというか、銀っぽい白い輝きに混じって、どこか七色めいた不思議な色彩を漂わせているような……? 「これ、UFOと同じ金属……『UFOニウム』でできているんですよ。」 ん。何。今聞き捨てならない単語があった。未確認の、飛行する、物体。「え、あなた、お名前は」 登呂は思い切って聞いてみた。

「ァン%&ェダ$ドゥ」 「え」 一部聞き取れない箇所があった。「だから、ァン%&ェダ$ドゥ、といいます」 「あれ、いや、その、もしかして、アナタ」 登呂はひとつの可能性を、つい口に出してしまい、「いわゆるひとつの、宇宙じ……」 「あ」 ァン%&ェダ$ドゥは登呂の言葉をさえぎった。「それで、スイソウガク部の件なんですけど」 そういえば勧誘するという話だった。

「……まあ、私も怪我をさせてしまったみたいですし、襲いかかってきた話は良いとしてですね」 「そ、それはドウモ……」 2人に若干の安堵。して、話の続きは。「私、このように楽器は持ってるんですけど、ちょっと事情がありまして、ね……」 ゴクリ。無力な2人はツバをのみこんだ。何しろ宇宙的物質の楽器を用いての事情である。実はこれ、波動砲なんですと言われてもおかしくない。もしや、とんでもない事に巻き込まれ始めているのでは……? 「実は、」 「ははははハイ」 「私、音大受験のための勉強中でして」 「ヒイ!」 のけぞってから、その言葉を咀嚼する。あれ? それは地球的な内容だった。「……うん?」

「この学校に本当にスイソウガク部ができるのなら協力しても良いですけど、普段は1人で家でレッスンを受けているので、毎日は参加できないかも……あの、聞いてます?」 意外なほど上品で好意的な彼女の言葉に、いまだ膝を着いている2人は喜ぶ前に困惑で目を回していた。ややあって、ハッと気がついたようにエリが言った。「あれ? もしかして……入部自体はOKと言いました?」 一歩遅れて登呂が「えっ! マジですか!?」 「あの……うん、まあ……ハイ」 出自が最も異常な少女は、最も常識的な態度と口調で言った。

「でも、一応親にも話しますので、今日はもうこれで帰りますね」 ァン%&ェダ$ドゥはにこりと笑って言った。なるほど危害さえ加えなければ穏やかな人物らしかった。つくづく余計なヤブをつついたモンである……。登呂とエリは了解の旨を伝えて自分達も名乗り(登呂はまた名前で笑われた)「よろしくお願いしまっす!」 と握手して別れた。「じゃ、また明日ー」 「うん、明日ね」 手を振るとァン%&ェダ$ドゥは、すっと浮き上がり、中空に現れたUFOに吸い込まれていった。ごく自然に。登呂とエリは上を見た首を戻せずに言葉を交わした。「……今のは見なかったことにしようか」 「……うん」

***

4. エクストリーム・メイク・オーヴァー

夕暮れ時の住宅街を小学生くらいの女の子が歩いている。小さな体にころっとした頬、栗色の髪をリボンでポニーテールにまとめ、揺らしている可憐な子が……見た目に似つかわしくない大股でズカズカと。大くてつぶらな瞳はいびつに歪み、小さな口からフゥーと大きく息を吐き、不機嫌なオーラを全身から立ち上らせている。「ブェアックシ!」 大きなくしゃみをすると鼻水が垂れたので、女の子は細い腕で大げさにそれをぬぐった。するとほぼ同時に『グルグルゴアァー』 とお腹が鳴ったのでさらに顔をしかめる。どうやらこれが不機嫌の原因のようだった。薄桃色のくちびるから言葉がこぼれた。「ちくしょう……腹へって死ぬ」

ラーメンがいい。女の子は考えた。今日はラーメンの気分だ。中華料理屋の薄味なやつじゃない、激戦区でしのぎを削る名店の、できるだけ豚骨臭いやつがいい。大盛りで味濃い目、油は多めだ。身長130cmで25kgくらいしかない彼女はそう考えたのだ。思えば思うほど欲望が脳を満たしてゆく。ああもう我慢できない。よだれが口元をつたい始める。ちくしょう、ああ、早く食べれないかな、さっさと食べに行きたい。だから、だから、もう! 彼女が我侭なストレスを限界まで募らせたその時。背後から女性の甲高い悲鳴が響いた。気づいて女の子は振り返る。

そこにいたのは……異形の怪物だった。二足歩行する巨大なワニが大口を開けて咆哮しているようにも見えるが、両腕の位置から生えているのが獣の前足ではない。まるでタコの足だ! それは信じ難い太さと長さで、本体を中心に半径5メートルほどに伸ばされ、片っ端から女性に巻きついている。それが計8本。人を殺したり捕食したりする気配は感じられないが、様々な年代の美女・美少女が狙われ、主に足に巻きつかれ、美しい顔を苦悶に歪めて悲鳴をあげている。人類の危機とまでは思えないが、普通に迷惑な怪獣である。もちろん誰も助けに動いたりなどできない。相手は怪獣である。助けに入るほうの命も危険だ。だから道行く人々は立ち止まって見物に徹するしかない。怪獣の周辺には人だかりができつつあった。

その女の子も小さいとはいえ可憐な少女だ。今は蛸足の届かない距離にいるようだが、いつ狙われるともわからない。だが、それを見て、彼女は、犬歯をむき出してニマリと笑った。笑ったのである! 「いよおおおおっしッ!」 何ならガッツポーズさえしている。「おうおう本日も盛況ですなア! サービス過剰でよきかなよきかな!」 満面の笑みでガハハ笑い。と、そこへ。『笑ってる場合じゃないファー!』 珍妙な語尾を引っさげて可愛らしい声! と同時に、白くてぷよっとした丸いものが少女の眼前に飛び出してきた。点のような目と、小さな口がある。その口もとからはガムテープが垂れ下がっていた。……先ほどまで貼り付けられていたのだ。

「チッ……剥がしやがったか」 女の子は小さく毒づくと、「でも、うん、ちょうど良いタイミングだ!」 とうなずき、「よっし、バッチこーい!」 と両手を広げた。すると! 怪物から紫色の炎じみたものがゆらめいて立ちのぼり、少女に吸い寄せられていく。怪物の動きには何ら変化が無い。少女の存在にすら気づいていないようだ。紫色はどんどんと少女の体に吸い込まれていく。そして吸い込んだ量がある一定を超えたとき、突如それは起こった。少女の体が光りだし、少女の周辺の背景が住宅街のそれと何の関係も無い、淡い光の模様へと変化する。さらに何の前触れもなく、それまで着ていた服が破れ、消え、平板な体のラインがあらわになった。これは……そう、変身シーンだ!

体がパーツごとに、ピンクのフリルがあしらわれた衣装に覆われていく。ドレスめいた上半身、ミニスカートの下半身、手袋にブーツ、そして背中に羽……ではなくメカメカしいロケットエンジンが装備され! 右手には光が棒状に収束されていき、武器である魔法のステッ……ゴルフクラブが出現した。服装が揃うと少女はポーズを取るべくクルクルと回りだし、その勢いを利用してクラブをスイング、先ほどのしゃべる白い球体をナイスショット。『ファアアァァーーーー』 断末魔をあげて空へ吸い込まれていくマスコットを背景に、彼女はビシッとポーズを決めた。ここでタイトルロゴが出る!

☆★☆魔法欲望少女くるくるクルミ☆★☆

――クルミちゃんこと回来狂未(まわりぎくるみ)は、突如この街に出現するようになった怪獣と闘うべく目覚めた魔法少女である。ある日魔法の国からやってきた白い球体に『君は選ばれたんだファー』 と言われてこの力を手に入れた。しかしこの世知辛い現代において魔法の国の力も減退しているようで、彼女に与えられた力は……「怪獣の悪のエナジーを吸い取って自分の変身のエネルギーにする」 という何ともエコなマジカルパワーであった。夢はあんまりない話だ。しかも悪のエナジーを利用するので変身者に元々基盤となる「欲望」 がないと吸い取ったエネルギーを体に定着できないという。そこで、「満たされても問題ない庶民的な欲望を常に持っている少女」 として狂未が選ばれたのである。ただ誤算もあった。それは、変身する事により……

「よーっし! 準備万端! いっくぞー」 クルミが背中のロケットエンジンを点火する。機動力ではあらゆる魔法少女の中でも随一であろう! 火を噴くロケットはクルミを、怪獣……の、真逆の方向へと飛翔させた。未熟さによるミス? いや違う。いきなり怖気づいて逃げ出したわけでもなければ、戦略的に撤退したわけでもない。彼女が一直線に向かう先、それは決まっている。評判のとんこつラーメン屋だ!! 魔法の国の誤算、それは欲望を基底に魔法少女を作り出す事により……その少女が、欲望が満たされるまで戦ってくれない事であった。「今日は3軒はハシゴするぞー!」 クルミは高速で街中を飛びながらいきまいた。

さあやってきました、まずは池袋。ラーメン戦争の行われる聖地である。数ある名店からクルミが選んだのはラーメン『豚野郎』。その名の通り、男臭い濃厚とんこつの店である。「ラッシャイ!」 店に入ると、ムキムキで汗だくの店主が腕を組んで仁王立ちで出迎えた。店のオリジナルTシャツを着ており、頭には手ぬぐい。これぞ正装である。ポーズまで含めて100点であった! 肝心の味のほうは……しつこさの上にしつこさがあり、ボリュームも大満足であったが味はしつこかった。また、後味も濃厚でしつこかった。「うーん、4ツ星!」 クルミは一人うなった。心底幸せそうな顔をしている。「も少し、しつこいとなお良かったかな! ごちそうさま!」 可憐で豪快な魔法少女ははじける笑顔でそう言うと、魔法で小銭を出して、勢いもそのままにロケットを点火して去っていった。

背中から火を噴きつつ山の手圏内を横断し、次にクルミがやってきたのは秋葉原。ここにも有名なラーメン屋は数多く存在するが、彼女が訪れたのは一風変わった洋風の佇まいの店だ。看板には丸文字の書体で『萌えキュン家』と書かれている。入店すると、マッスルで汗だくな店主が腕組みして仁王立ちのメイド姿で出迎えた。「お帰りナサイマセ、ゴシュジンサマー!」 そう、ここはメイド喫茶ならぬメイドラーメン店なのである。クルミは大将に「ドジっ子ラーメン」を注文すると、席で待つ。やがて「三番さんのドジっ子出まーす!」の声ととともに、厨房の奥からメインディッシュが現れた。

「はわわわわー!!」 お盆にのせてラーメンを運ぶその巨乳ロリ顔のメイドさんは、ばたばたとせわしない足取りでクルミの席に突進してくる。実に際どいバランス。そのまま店内に意図的に設けられた段差に差し掛かると、見事つま先をひっかけた。「は、はわわわわー!」 メイドの体が前のめりに倒れる。ラーメンが宙を舞う! そのままクルミは、飛んできたドンブリを頭からひっかぶった。「あっちィー!!」 当然ラーメンはあっつあつである。しかしクルミは、なんとここでクレームを言うでもなく、ドンブリをかぶったままメイドを助け起こすとオットコ前な笑顔で親指を立て、「うーん、四ツ星! 転ぶときはしりもちをついて、パンツがちゃんとお客さんに見えるようにしなきゃあね!」 と告げると、お金を払ってハードボイルドっぽく去った。「ドジっ子ラーメン」 はラーメンをかぶるまでがサービスであり、それを楽しむ料理なのだ。

さて、2軒の店を巡ったクルミは3軒目を目指す。やってきたのは六本木であった。きらびやかな街なみに並ぶその店は『ホスト麺』 という。入り口ではマッスルで汗だくな店主が腕組みして仁王立ちの高級スーツ姿で茶髪をなびかせながら「ご指名をドウゾー!」と言った。 クルミは慣れた手つきで指名を済ませると席に案内される。色とりどりの照明とインテリアが騒がしい店内を演出した。「ご指名ありあとゃァース! セイジっす」 現れる見るからにチャラい男。「いつもの、いつものー!」 クルミはハシャぎながら注文した。「ありあとゃァース!」 男が注文を叫ぶと、やがて店の奥から注文の品が現れた。高級酒「リシャール」 を使用したスープに、銀色に輝く麺。しかし、これで完成ではない。ホストはそれを、店中央のテーブルに置くと……その眼前にそびえるガラスの山、シャンパンタワーに鶏ガラスープを注ぐ! 美しい滝が描かれ、クルミのラーメンにスープが注がれた。

……約3時間後。未成年飲酒でへろへろになったクルミは、ロケットエンジンで空中に不規則な軌道を描きながらフラフラと飛行していた。3軒の店は回り終えた。街には完全に夜の帳が下りている。しかして、クルミは着地した。目の前には、先ほどの怪獣……を思わせる巨大な百貨店が立ち並び、豪奢な光を放っている。銀座であった。ほとんど移動してない! 彼女は完全に据わった目で裏路地に入ると、階段を下りて地下の店に入っていった。まさかの4軒目。看板にはこう書かれていた。『SM軒』。マッスルで汗だくな店主が腕組みして仁王立ちのボンテージ姿で口にはギャグボールを嵌め目隠しをされている。「モガモガモガー!」 何かを叫んだが、さっぱりわからなかった。

「いつもの!」 クルミはふんぞり返って注文した。すると少し経って店員は、まったくオーソドックスないわゆる中華そばを運んできた。しかし奥から、もう1人の男が現れる。いや、男というか、こう呼ぶべきであろう。豚、と。店先に立っていた店主と思われる豚であった。豚はプルプルとブリッジの姿勢になると、その腹の上に先ほどのラーメン……と、火のついたロウソクが置かれた。クルミは食べず、黙って見ている。やがてロウが垂れ落ち、豚の体がビクンと震え、ドンブリがひっくり返った。あわれ、床にラーメンが撒き散らされる。そこでクルミは立ち上がると……豚の頭を踏みつけて、その据わった目で。「あーーーーあァ、もったいないなあ〜〜〜。テメェのせいだよなァ〜この汚ねェ豚野郎のよぉォ〜」 グリグリと豚の頭部にかかとをめりこませる。豚は頬を紅潮させて喘いだ。「ホラ、舐めろヨ! オラオラ!」 クルミは容赦なく豚に床を舐めさせた。そう、これは……食べるためのラーメンではない。食べさせるためのメニューだったのだ!

怪獣のもとへクルミが戻ってきた時、怪獣は律儀にも同じ地点で暴れ続けていた。相変わらず一人たりとも死傷者はいないようであったが、人だかりは増えており、捕まった美女・美少女たちは一様に目の光を失いかけていた。ひどい。クルミは空中からフラフラと怪獣に接近すると、「お〜〜〜、こりゃもう潮時ですなァ。お客さんも飽き始めてますな」 と毒づき、「ほらほら、もう店じまいなんだよ〜う、このブタヤロウ」 さっきと同じノリで怪獣の頭部を空中から踏みつけた。数時間に渡り好き放題だったのに突然刺激された怪獣は「グアァーーー!」 と咆哮し、大口をあけて威嚇。クルミの小さな体などすぐに飲み込まれてしまいそうだ。あぶない!

しかしクルミはあぶなげなく再度空中に飛ぶと、武器のゴルフクラブを出現させ大きく振りかぶる。必殺技の構えだ。「チャー!」 光がクラブのヘッド部分に集まる! 「シュー!」 光は増幅され、強く輝き……、「メーン味濃い目アブラ多めェー!」 そのままクラブは怪獣の頭部にたたきつけられる。ゴパァン! 魔法で打撃力を増幅された鈍器をもろに受け、怪獣の頭部は豆腐のように四散した。あっという間であった。それと同時――、その怪獣の悪のエナジーを源泉としていた彼女の魔法力も尽き、変身が解除される。どこにでもいる小さな女の子、回来狂未の姿がそこにはあった。しかし変身前とは打って変わり、スッキリした顔をしている。「あ〜〜〜、満足したっ! これだから魔法少女はやめらんないよねー」 少女の顔は、その可憐な容姿とイイ表情とが結びつき、それはそれは可愛らしい様子であったという……。



「わかったわかった! もうわかったから……お、降ろしやがれー!! ちょっと怖いし……あと、ぱ、パンツ見えてない!?」 放課後の音楽室に嘆願の声が響く。登呂の声である。登呂とエリは今……ヘリウムガスを入れられた風船よろしく音楽室の天井に背中をへばりつけて吊り下げられていた。いや、正確には吊られているわけではない。ぶら「下がって」 いないのだ。なぜなら、今この部屋において……引力は「上向きに」 機能しているからである。

エリは横に目をやって、笑った。「いいじゃん別に、なんか楽しいし……あと、そんなに恥ずかしいパンツだとは思わないし」 「見えてるしー!」 登呂は涙目で抗議した。昨日勧誘に成功した音大志望少女……ァン%&ェダ$ドゥ(2人には発音不可能だったため「UFOせんぱい」というそのまんまなアダ名がつけられた……ちなみに2年生なので、先輩だった)に、さっそく演奏を披露して貰った結果がこれである。

さすがは音大志望者とでもいうべき確かな実力であった。音大の受験というのは、基本的に個人技で争われる。それだけに、1人で曲を演奏して世界をひとつ創造するくらいの実力が求められるのであった。そして出身が出身だけに、彼女のリアルに作り出す世界というのは、当然のごとく無重力空間なのであった。1曲演奏してみせてから、UFOせんぱいは楽器から口を離し、言った。「どうです? お眼鏡にかないましたか?」 「メガネはいいから、降ろしてー!」

「さて」 こほん。自分が仕切るのだと示すかのように、登呂は小さな咳払いをひとつして曲者2人を見た。3人は校庭に来ていた。ここなら多少の演奏をしても被害が少なかろうということで、勧誘のための演奏をしてみようという腹なのだった。「エリちゃんは初めてだし、上手くは演奏できないと思うけど、ぶっちゃけ物珍しいと思わせられれば勝ちだから!」 3人はそれぞれの楽器を構え、「せー、のっ」 そして同時に息を吹き込んだ。すると…… 『ゴォォアァァァァ!』 出現したのは炎でできたドラゴンであった! その燃え盛る身体の周囲には雷雲が渦巻き、雷をところどころへ降らせている。登呂もエリも、演奏しながら驚愕した。自分1人ではこんなファンタジーを表現する事は不可能だからである。事前に「ドラゴンのイメージでいこうぜ」 と決めていたとはいえ、ここまできちんと出るものとは。これはUFO先輩が引力や斥力を細緻に操り、奔放な炎と雷を整形して初めて可能になるワザなのである。

ドラゴンは3人の頭上をゆっくり旋回し、その存在を誇示する。雷も引き続き降り注ぐが、校庭にいた生徒には一発も当たっていない。これもまたUFO先輩の確かな技術である。初顔合わせの3人とは思えぬ演奏に、下校する生徒たちも足を止める。スイソウガクならこのくらいはありうるとはいえ、素人にしてみればちょっとした大道芸だ。校門前には人だかりができつつあった。「おおー」 「なんだコレ」 オーディエンスは口々に感嘆を口にする。「すげー」 「世界が危ない!」 「お客様の中に勇者の方はいらっしゃいませんか!」 ちょっとした冗談の応酬も混じる。「正義の味方でよければっ!」 しかし空気を読まず、そこに堂々と割って入る影があった。えっ。そう、確かに、一応、彼女は、正義の味方ではあったのだから。

そう、どう見ても小学生にしか見えない、ランドセルの似合いそうな回来狂未ちゃんが、この高校の制服を着て仁王立ちしていたのだ。御年16歳!! 幼児体型に描写されてきた登呂よりもさらに幼児なその少女は、傍若無人に振る舞ってきた登呂よりもさらに不遜な笑みを浮かべ、「今日はフライドポテト食べ放題したい気分かな!」 と言ったのである! ……しかしここで彼女の予想外が起きる。変身できないのだ。当然である。目の前の怪獣は、邪悪な欲望のオーラを放っていないのだから。人だかりの奥に登呂たち3人の姿を認め、狂未もそれを理解した。フライドポテトへの欲望が行き場をなくし、脳内をさまよう。そしてそれはすぐに……怒りへと変わった。「まぎらわしい事してくれてんじゃねェーーっ!!」

短い曲であったためすぐに曲の終わりは訪れ、ドラゴンが消滅するとともに3人へ拍手が送られる。しかし、その人だかりを割ってずいずいと進んでくる女児が。その女児……風の女子高生、狂未は大きく息を吸い込み、地球の裏側まで通りそうな声で訴えた。「やいやいやい、なんなんだてめーらッ!」 「「「なんなんだ」」」 3人は、目を点にオウムがえしするしかなかった。「ポテト弁償しろッ! Lサイズで15コ! マックのやつな!」 説明ナシに問答無用でポテト。これが正義の魔法少女の姿である! 登呂とエリは困惑が溢れて止まらない様子であった。が、ここでUFOせんぱいが前に出た。「なんだかわからないけど……それなら、ポテトを賭けて私達と遊んでみませんか?」 「賭けぇ?」 「うん、勝ったら、ポテトでもなんでもあげるよ」

場所は移って、狂未を加えた4人は音楽室に来ていた。「賭けっていうのは、これなんだけど」 UFO先輩が取り出したのは風船だ。「これを一息で膨らませて、一番大きくできた人の勝ちね」 風船は4人に1つずつ配られた。自分のペースでちゃっちゃと進めるUFOさん。「なるほどねえ……自分の土俵で勝負しようとしてるでしょ」 狂未は、たやすくそれを指摘した。スイソウガク使いが常人の数倍の肺活量を持つのも、世に知られた事実である。しかし、「あえて受けてあげる。残念、わたしもこういうのは得意なんだよな! げへへ。後悔しやがれ!」 と狂未は大声で笑った。本当に大きな声だ。どういうわけかこの少女は、肺活量に絶対の自信があるらしかった。

風船には、まず登呂とエリが挑戦した。登呂はそこそこの大きさに膨らまし、げほげほと息を荒げながら「どんなもんだ!」 と掲げて見せた。エリの風船の3倍くらいある。というか、エリは図体の割に、水風船サイズくらいにしかできていない。スイソウガク使いとしての呼吸法の基礎ができていない事の証明でもあった。「ち、ちくしょう、殺せ……」 エリはしょんぼりとうなだれた。「雑魚どもめが!」 そしてついに、大口を叩きながら狂未の登場である。小さな小さな口から吐き出された息は、止まらず、まだ止まらず……最終的に風船はスイカほどにもなった。「げ、げえーっ」 登呂は心底悔しそうにうめいた。スイソウガク歴があるのに素人に負けるというのは、それなりにショックだ。しかし狂未の息量が本物なのだ。それもそのはず、日頃彼女は、生身のままロケットエンジンで東京横断とか平気でやるのだ。タフな肉体と呼吸機構がなければ不可能な芸当である。間違いなく猛者であった。

さて、対して最後に挑戦するのは言い出しっぺのUFO先輩だ。無表情でぷーーーーーーーーーーーと、息を長く長く送り込んでいく。あまりに苦しさを感じさせないので、登呂とエリは「もしかして無限なんじゃね?(宇宙人だし)」 と思ったのだが、あるところでピタッと息を止めると、ぱっと風船から口を離した。「うーん、限界ですね」 笑顔で言う。「「ホントかよ」」 思わず疑う2人だが、それはともかくとして肝心の風船の大きさは……狂未のと大差はないように見える……が、並べてみると、わずかに小指一本分! UFO先輩の直径が勝っていた。「う、うげえ……っ」 勝負に負けた以前に、狂未は若干引いていた。「あ、あんたホントに人間か!?」

「ごめんなさい、人間じゃないんです」 UFO先輩はあっさり言った。「え」 「あ、そうそう。賭けですから、こちらの条件を言わないといけないですね」 「えっ。ちょっ、それ以前に人間じゃないって、え、条件? き、聞いてないよちくしょう!」 狂未が、あの狂未が青ざめて混乱狼狽している。UFO先輩は淡々と続ける。「このスイソウガク部にね、入部してほしいんです。あなたの力なら、きっと良い演奏者になれますから。ね?」 さらっと言った。狂未の時間が止まる。キャトルミューティレーションとか言われるんじゃないかと思ったのだ。今や、登呂やエリの事も宇宙人の手下に見えていた。そして気圧されて、狂未は、つい言ってしまったのだ。「……ハイ」

「ありがとう!」 UFO先輩はやさしく微笑むと完全に置物となっていた登呂、エリに向き直り、「部員1名ゲットですよ。お手柄ですか?」 と言った。2人は石像のように表情を変えないまま、「ハイ」と言ったが、同時に(この人マジ狡猾)とも思って背筋を寒くしたのだった。

***


5. 亡き王女のためのパヴァーヌ

それから1ヶ月が過ぎた。いま、登呂は――狂未の目を見つめていた。まっすぐに、全神経を注いで、ただ前を見て。2人の少女の大きな両の瞳が、互いの瞳をそのまま映し返す。しかし、やがて登呂は表情を厳しいものに変えて目を伏せると、首を横に振った。狂未の表情が、悲しげなものに変わる。そして先ほどまで差し出していた手を下ろして……もう一度、別の位置に出しなおした。今度は、登呂も首を縦に振った。登呂は……マウンドにいた。目を見開く。足を高く上げる。「くらえッッ! 必殺魔球……忍法、不憶亡流!!」 登呂の手を離れた黄緑色のボールは激しい回転とともに、軌道上に立つエリの方角へ高速で接近! そしてギリギリの位置で……急角度で落下した。これぞ魔球、不憶亡流(フォークボール)! 「すでにそんな技まで身に着けていたとはな! だが……少々単調だぞ!」 エリの視線は確実にボールを追っていた。エリが、手にしている棒状の何かを振り抜く。……登呂の背後に、猛スピードでボールが飛翔していった。がっくりとうなだれる登呂。「ホームランだね」 審判役のUFOせんぱいが冷静に言う。「だから私に投げさせろって言ったんだよー」 狂未は不満げだ。 「おい、そろそろグラウンド返せよ」 野球部の監督も不満げだった。

音楽室に戻った彼女らは、なごやかに談笑していた。「そろそろ拾ったテニスボールで遊ぶのも限界かなあー」 狂未がこぼす。最初はおっかなびっくり加入したものであったが、元来粗暴でノリの良い彼女がメンバーと打ち解けるのに、それほど時間はかからなかった。「私は気に入ってるけどな! 譜面台をバットにするのはナイスアイデアだった! 甲子園を目指すのも良いかもしれん……!」 エリは興奮して返す。「それより、今日はおやつ何にします? たまには和菓子も良いと思うんですけど」 UFOせんぱいはマイペースだ。「くっそーー……死ぬ気で身に着けた不憶亡流が通じないだなんて……やはり虎飼エリ、天才か……」 登呂はひとりぶつぶつと呟いていたが……ここでふと気が付いて叫んだ。「……じゃねえよ!」 突然のことに、他3人は目を点にする。「今日まだ楽器触ってもいないじゃん!」 そうなのだ。楽器の練習の気分転換に始めたはずのテニスボール野球がここのところエスカレートして、エリは打球をスタンドインさせられるパワーを鍛えてくるわ、UFO先輩はストライクゾーンをミリ単位で見極められるようになるわ、狂未は塁に出れば三盗まで決められるようになるわ……かく言う登呂も見事な変化球を習得し、エースの座を不動のものとしていた。見事に、野球に浸食されている。

「うーむ。い、いまひとつ、スイソウガク部って感じがしない……」 思い当たって、登呂はアタマをかかえた。この1ヶ月、楽器の練習活動もしてきたものの、どうにも緩いものである事は否めなかった。エリや狂未は初心者であるからある程度は仕方ないものの……いや! 妥協してはダメだ! いったい自分が何のためにスイソウガク部をイチから立ち上げたのか。それを思い、登呂は自らを戒めた。「やりたい事」と「やってて楽しい事」の乖離。どこにでも存在する障害だ。強い意志を持って始めたはずでも、こうもたやすく堕ちるものか……。さて、どうすればもっと皆で演奏に力を入れる活動ができるだろうか。しばしの黙考。そして登呂は、ひとつの結論に達した。「……大会に出よう」 登呂は3人のほうに向き直ると、前置きなく宣言した。

「つ、ついに甲子園を目指す決心がついたか! キャプテ……」 あさっての方向に食いついたエリを登呂ははたき倒した。その瞳は真剣そのものだ。それを汲み取って一同は一瞬黙った。そしてUFOせんぱいが一歩進んで問う。「それは、スイソウガクのコンクールに出るってことなの? 4人で?」 スイソウガクには年1回、各学校が演奏を競うコンクールが存在する。その高校部門に出場するつもりなのだとしたら……もちろん人数は足りないし、なにより時期違いだ。コンクールの初戦は夏休み中の8月。今はすでに9月で、エントリーするのすら遅すぎる。「もちろん合奏のコンクールなんか出ない。当面の目標は、11月のアンサンブルコンテストだ!」 登呂は答えた。「何? ダンサブル? 踊りつき? セクシー?」 狂未は腰をぼりぼり掻きながら首をかしげた。UFOせんぱいも知らない様子だ。

アンサンブルとは、スイソウガクの一ジャンルではあるが、いわゆる合奏と違い少人数での演奏形態を指す。合奏と比べるとスイソウガク界でもマイナージャンルではあるが……そのルール下での演奏を争うのが『アンサンブルコンテスト』 というわけだ。この大会のレギュレーションでは、最大人数は8人となっている。4人でも全く不自然なことはない。初戦である東京ブロック予選の時期も11月で、今から2ヶ月……真剣に取り組めばなんとか間に合う時期である。確かに妥当な目標というところではあった。「ここで発表するための曲の練習をするっ! するったらするんだ! するし、やるし、行うんだい!」 登呂はヤケクソぎみにわめいた。

よくはわからないが、突然悲痛な感じであった。ふうむ、と3人は彼女の言葉を飲み込む。「……まあ、目標があるのは良いことですね。私も、真剣に楽器をできる機会になれば得るものがあるでしょうし」 そしてUFOせんぱいは賛同を示した。1年半後に音大受験を控える彼女としてはある種当然ともとれるご意見である。エリは「大会」 という言葉の響きだけでワクワクしてきたらしく、興奮している。狂未はいまひとつ状況が飲み込めないようで「まあ、いいんじゃん」 と言いながら鼻をほじっていた。ともかくもこうして、大会に挑む事は決定となったのである。となれば、やる事はひとつだ。「さあ、さっそく今日の練習やるぞ!」

そんで。4人はようやく練習モードに入り、それぞれの楽器を持って配置についた。演奏する本人たちから見て一番右がエリ。楽器はトランペットだ。2番目の位置には狂未が並ぶ。持っている楽器はホルンといって、カタツムリのような形をした円盤状の楽器だ。もちろん彼女は入部時に楽器など持っていなかったので、なんとUFOせんぱいからの譲渡品である。宇宙的物質でできているのかどうかはわからない。3番目の位置には登呂、手にはもちろんトロンボーン。最後、一番左手にはUFOせんぱいが自身のユーフォニアムを持って椅子に座った。音の高い楽器から順に、右から座っていくのが基本とされており、これはそれに則った順番だ。こうして準備が完了し、いよいよ練習である。「よーし、んじゃやるぞー」 登呂が声をかけた。一応創始者なので、「部長」 として仕切る事になっているのだ。「じゃあ、いつもみたく『ロングトーン』からね」 「「「はーい」」」 指示に返事。ここ一ヶ月で一応お決まりになったパターンだ。登呂は楽器を振って、スタートの合図を出す。「せー、のっ」

『ロングトーン』 とは、スイソウガクにおける基礎の基礎。ウォーミングアップの意味合いも兼ねて、練習メニューの一番最初に行われる事が多い。内容は単純である。ただひたすら同じ音を、決まった時間伸ばし続けるのだ。それを全員同時に行う。しかしこれが、単純に見えてなかなか奥が深い。スイソウガクは呼吸を使う。演奏とは身を削る行為だ。楽器を媒介に生気を吸わせ、それを表現物に変えるに等しい。つまり、普通に苦しいのだ。それを長く続けるのがロングトーンである。初心者が無茶をすれば命すら落としかねない。おまけに全員で同時にそれを行うのだ。自分の苦しさに気を取られ、他人と呼吸を合わせられないようではそれは達成できない。理想としては全員の「音」 が同時にピタリと発射され、空中で1つに混じり合わさった姿として、部屋中に均等に広がり続けるように放射されるのが望ましいであろう。けして簡単ではないが、あらゆる曲の演奏はこの延長にあると言っても過言ではない。重要な練習なのである。

さて、登呂の合図で、4人は同時に音を出……そうとした。しかし他の音にさきがけて、一瞬ピリッと電流が奔った。エリだ。しかも、つまずいたまま無理やり続けようとしているのか、細い電流があっちへフラフラこっちへフラフラ。初登場時の堂々とした雷鳴はどこへやら、だ。もちろん他と合わせられるはずもない。一方、狂未の楽器からは、円盤状に巻かれた管から発生した風がそのまま立ち上り、竜巻を形成していた。これが彼女の表現属性なのだろう、初心者にしてはかなり鮮明に立派なストームが表れているといえた。しかし、これは……少々大きすぎる。表情は全力そのものだ。が、全力すぎるのだ。ハリケーンはどんどん拡大し、ある時点で破裂してバァン、と爆ぜて消えた。案の定、最後までもたなかった。そして登呂。さすがに経験者らしく、安定してある程度まっすぐに火炎放射を続けているものの……あまりに攻撃的だ。他の音と融和する気が皆無すぎた。炎はエリの雷を飲み込み、狂未の竜巻を弾き、最終的には、隣のUFOせんぱいの楽器から発生した重力場にねじふせられた。せんぱいは涼やかだが威圧的な目でそれを見ている。ちょっとこわい。

このような感じとなった後、とりあえず全員が楽器から口を離し、登呂のほうを見る。コーチもいない現状では、この場を仕切っている登呂が改善点をコメントし、練習を進行していく流れとなるのが普通だ。注目を受け、登呂は難しい顔をして目を閉じた。綻びの多い内容だったからだろうか、眉間にしわを寄せている。そして、うむむと唸り、続いてぐむむと唸った。2、3回うなずき、心の中を確かめる。そして言った。「マア、ヨカッタンジャナイカナ!!」 目が泳いでいる。スイソウガクは命を削る。他人の演奏を気にする余裕が持てないこともしばしばであるが……。

が、突如、その顔面真横を閃光がかすめた。登呂の表情が固まり、頬から血が一滴。「よくないっ」 UFOせんぱいが目を光らせている(物理的に)。ビームだ! 実に容赦ない突込みであった。そしてため息とともに言った。「これじゃあ、大会になんて出すわけにはいかないですね」 「え、あ」 登呂はあわてた。せんぱいは本気を出すと怖いのだ。そしてUFOせんぱいは全員の問題点をひとりひとり指摘した。それは見事な指摘であった。最後に彼女は言った。「これは……大会まではとりあえず、私が仕切らせてもらったほうが良さそうですけど、どうでしょう?」 目が笑ってない。「は、ハイ……」 登呂はしょんぼりした。それから頬に絆創膏を貼った。

そして、毎回の練習をUFOせんぱいが仕切るようになって時が流れたある日。4人は狂未が持ってきたパソコンを使って、「東京都スイソウガク連盟」 のWEBサイトを見ていた。パソコンの入手経路はもちろん「魔法の力」 である。狂未は時折、突然部活を抜け出していなくなってしまう事があるのだが、その何回目かの際に彼女が持ち帰ったのがこれだ。WEBサイトには、彼女達の出場するアンサンブルコンテストの出場校一覧と、出演順が掲載されていた。4人は「私立三軒茶屋高校」 の文字を探す。あっそうそう、この学校はそういう名前であった。そうなのである。そしてその名前は……なかなか見つからなかった。なぜなら、その名は、表の一番下に書かれていたからである。出演順、末尾。トリであった。「んー、他の実力校より後ってのは微妙だけど、本番当日にじっくりコンディション調整できるから、一長一短ですね」 UFOせんぱいのコメントは冷静だ。「いや、最後ってのは俄然燃えるゼ!」 エリは興奮している。「まあ、いんじゃね」 狂未は鼻をほじった。そして、登呂は……言葉を発さない。「「「?」」」 3人が登呂に注目する。彼女の目は、自分の学校名ではない、別のところをじっと見ていたからである。

わかっていた。出てくるであろう事は、ほぼ間違いなかった。しかし実際にその学校名を見ると……登呂の頭はかき乱されたのである。彼女が転校前に在籍していた、「その学校」 の名前が、目に入るだけで。胸のうちがぞわぞわして、落ち着かないものが渦巻いた。体内の中心部で、何か質量をもったものがゆっくりと、内臓をえぐりながらぐるっと掘り進んでいくような……そんな感覚。それは重篤なトラウマだった。彼女がかつて所属していたスイソウガク部。そこを退部して今、登呂がここにいる理由……それが頭をよぎり、身体の感覚を重くする。そして登呂の心のうちに、空回りする使命感のようなものが生まれた。もちろん今、登呂と彼らは無関係だ。無関係なのに……何かをしなければならないのではという焦燥感。それは彼らに対する逆恨みにすぎないのかもしれない。しかしそれでも、彼らに何か見せつけてやらなくてはならないのではないか、何かを証明しなくてはならないのではないか……つまり。彼らに、勝たなくてはならないのではないか―― その日、彼女はいまひとつ練習に集中できず、UFOせんぱいの目からは、ビームが3回出た。指からは2回出た。

帰り道。4人は固まって下校していた。とっくに日は暮れ、あたりの民家からは夕食の匂いが漂っている。狂未のお腹が「グランドゴアアァァーー」 と音を立てる。練習後は誰だって空腹だ。登呂も練習中からずっと呆けていたが、それに腹が呼応したのか、「くるるぅぅー」 と音を立てた。そして気が付いた。「あ」 「ん?」 ひさしぶりに登呂が声を発したので皆振り返った。「今日の夕飯が」 「……ない」 中空を見つめたまま言った。登呂は一人暮らしだ。転校の際に親元を出ている。学費は出ているようだが、生活費は全然ないらしい。つまり、「食べるもんが……なんもない」

思い出して気づく、本日最も絶望的な状況だった。またしても登呂は固まった。ほかの3人は顔を見合わせる。そして、「コンビニ寄ってこーよ」 エリが発言した。「な、焼きそばパン食べようぜ。青春モノっていったら焼きそばパンって決まってるのよ。その味は知っておくべきだぜ、ボム美ちゃん。今日は私のおごりだ」 「え」 登呂が反応し終わらないうちに、今度は狂未が肩をたたいた。「いやいや、わかった、今日はラーメンにしよう。なに、ちょっと地球の危機が訪れれば、無料で楽しめる良い店がね? SM好き?」 なにやらよからぬものを勧めている。それを見て意図を汲んだUFOせんぱいも「あ、そういえば、地元の名産のお菓子があるんですけど皆さん食べますか? ちょっと虹色で虫っぽくて、ここらへんじゃ見ない生き物ですけど……」 と、こちらも謎の物品を勧めだす。

「へ。う、うん、あべっ」 登呂はうまく返事できなくて口をパクつかせた。勝手に目の裏側が熱くなる。あんまりにも急に、立て続けに示される無償の好意。突然真正面から投げ込まれた慣れない愛情を受け止められず、登呂は混乱して舌をかんだ。そして思った。ああ、ああ。これは……もしかして、友情ってやつじゃないか!? ……単なる空間ではない、人間関係の、心の、居場所。本当にただムリヤリかき集めたメンバーだったが、一緒にいた年月が、彼女らの関係をそうしてくれたのか。偶然たまたま、彼女らは、友達じゃなくて仲間、になった。それを今、彼女は肌で感じて、なんか胸がぎゅっとなって、変な汗がだらっと出た。そして……先ほどの自分の思考を、ちょっと恥ずかしく思った。自分個人の事情からの焦燥感を、である。もちろん、過去も、それに対する感情も消えはしない。ある程度逆恨みのような感情を持たざるをえない。しかし、それに支配されるのは、ダメだ。今の仲間と、今の自分のために、皆で喜ぶために、勝ちたい。それが一番じゃなきゃ、だめだ! 彼女は涙をぬぐって、前を向いて、笑って、言った。「全部くれ!」

***

6. ジャパニーズ・グラフィティ

灰色の大小さまざまなビルが並ぶ街並み。大半は予備校や専門学校など、学業に関係するものだ。渋谷にもほど近く、現代的な服装の若者が行きかうこの街は、そう代々木。そして、にぎわう駅前からいくつか路地を曲がった先に……ひそむように、そのビルはあった。表通りからは完全に隠れているので一見わからないが、大型のショッピングモールくらいありそうな、かなり巨大な建造物だ。しかし壁の、背景に溶け込むよう塗装された絶妙な灰色の濃淡がその存在感を限りなく薄くしている。実に不気味なビルであった。都会の中心に位置しながら意図してその存在を隠し通す、幻影のような箱。この中に、「その学校」 はある。

――『代々木忍術学園』。

斗的丸は広大な草原の草むらに身をかくし、じっと息をひそめていた。以前刺された右の太腿と、尻が痛む。万全でない以上、正面きって大きな動きを見せるのは禁物だ。問題ない、大事なのは最後に成果を出す事だ。機さえ間違えなければ、ハンデなど覆せる。彼はそう考えていた。しかし、そんな彼をあざ笑うかのごとく、背後に突如巨大な影が出現した。……自動車だ! 「ッ! 覇印かっ!」 斗的丸の表情が険しくなる。全く気が付かなかった! 「ふふふ、私の忍法は隠密性、機動力、破壊力、すべてにおいて最強だよっ!」 覇印(ぱいん)は、エコカーを操り戦うくのいちである。エンジン音がしない、という電気自動車の特性を活かした隠密行動は得意中の得意だ。

「平成の忍者が平成の道具を使うのは当たり前」 それが彼ら、現代忍者『代々木忍軍』 の方針であった。現代科学により完成された道具の有用性は高い。そしてその力を最大限に引き出せた時、彼らの忍びとしての実力も凄まじいものとなるのである。その業をもって代々木忍軍は、現代日本において名家の護衛、御庭番、暗殺業の業界シェアを急速に拡大したのである。この「代々木忍術学園」 は、その所属忍者の養成学校であった。……そして今、覇印の操るエコカーのタイヤが静かにうなりをあげて斗的丸に襲い掛かる! 斗的丸もスマートフォンを利用した自慢の忍術を会得しているのだが、今はそれが使える状況ではなかった。もはやこれまでか……! 彼がついに諦めようとした、その時だった。

「キーンコーンカーンコーン」 ありふれた、あまりにありふれた普通のチャイム音が鳴り響いた。それはそのまま、授業の終了を告げる合図なのだ。エコカーのブレーキが踏まれ、タイヤがその動きを静かに停止する。斗的丸は胸をなでおろしながらも、心中に若干の悔しさを滲ませた。体育のサッカーで負けた時くらいの、そういう悔しさだ。「あーあ、残念、だね」 覇印は余裕のため息をつくと運転席のウィンドウを開けて顔を出し、クラスメイトである斗的丸に、尋ねた。「次、なんだっけ」 「あ? 数学じゃなかったっけか」 「やべ、宿題やってないや」 「……知るかっ」 舌を出す覇印に少しのいらだちを見せながら、斗的丸は「先に行くからな!」 草原の広がる「忍術実習室」 を出て……彼らの在籍する2年C組へと歩いていったのだった。

……数時間後。忍術学園は放課後を迎えていた。帰宅する者、空き教室にたむろする者、課外活動に励む者、補修で居残り修業をさせられる者、様々であったが、ここはもちろん……スイソウガク部の紹介をせねばなるまい。忍術学園といえど、「忍術」 以外にも英国数理社、美術、家庭科、そして音楽の授業も当然のごとく存在する。なので、音楽室ももちろんあるのだ。というわけで、その音楽室の扉を開いてみよう。すると、そこには……かぐわしい、茶葉の香り。小さな円形テーブルと、ガーデニングされた中庭スペース。そして上品きわまりない、慎ましやかな笑い。「いやー、本日もお日柄のよろしい事で、喜ばしゅうござるね」 「ビルの中とはいえ、天気が良いと気分も良いでござるからねえ……アラ、今日はアールグレイ?」 「エエ、今日はたまたま良い品が入ったものでござるから……」 狂気の沙汰である! いったい何が起きているのか?

パン、パンと、手の打ち鳴らされる音がする。部長である胡瓜丸が注目を促す。集合の合図であった。シュバッ、と素早い動きで、全部員が0.5秒で胡瓜丸の前に集参する。彼らは掟や上下関係に厳しい。忍びだからではない。全国のスイソウガク部の大半は体育会系のノリなのだ。胡瓜丸は号令を発した。「これより合奏練習を行う! 速やかに、準備にとりかかりなさい。散!」 シュバ! はじけ飛ぶがごとく、彼らは持ち場についた。音楽室の机を運びだし、空いた空間に椅子を合奏体型に、半円状に並べていく。実に鮮やかな手際であった。そして各々が楽器を持ち、椅子に座って待つ。合奏をするということは、指揮者が現れるのである。音楽室の扉がそっと開かれる。しずしずと、その男は彼らの前に立った。「ごきげんよう」


最新更新分▼

――代々木忍術学園スイソウガク部は、東京ブロックではそこそこの強豪。鍛えられた肉体と精神力による、アラはあるが勢いのあるサウンドは、合奏力を争う「スイソウガクコンクール」での成績において、東京でも十指には入るが、全国で通用するレベルではない……と、いうのは2年前までの評価である。2年前。合奏の指揮担当としてこの男、プロの指揮者である小松菜緒也(こまつなおや)を招き入れてから、彼らの演奏は変わった。かつての攻撃性は鳴りを潜め、代わりに、驚くべき統率力と調和を見せたのである。合奏をしているのにその場に忍んでいるがごとき、一体感と隙のなさ。まさに彼は、忍者たちの忍びとしての別側面を引き出す事に成功したのである。結果、彼らは1年前の「全日本スイソウガクコンクール」 にて「銀賞」 を受賞。そしてつい先ごろ、今年の東京大会でも優秀な成績を収め、2年連続の全国進出を決めたばかりであった。

「……はい、ストップストップ」 菜緒也が演奏中に指揮を止め、曲を中断させる。そして演奏に対して、苦言を呈した。「今のはサックスのE♭が高いでしょう。和音が形になっちゃいない。イメージ以前の問題ですよ」 「それと、バスドラ(大太鼓)はリズムがバラバラもいいとこですね。勢いだけじゃあダメなんです。表現のつもりですか? そういうのは正確にリズムを刻めるようになってからやりなさい」 東京ブロックを突破したばかりの楽団への注意とは思えぬ内容である。実のところ、生徒たちの演奏は彼の言うほど壊滅的なものではなかった。しかし、彼にとってはそうではないのだ。「……まったく皆さん、少し言わないとすぐ忘れてしまうのですね。」 菜緒也はため息とともに、彼の決まり文句となりつつある説教を口にした。「そもそも中学生から音楽を始めようなどという事が厳しいのです。信じられない。あなた方には、音感やリズム感がまるで身についていない。幼少期にしか育たないものなので当然ですが……それでも音楽をやろうと思うのなら、最低限それだけは身に着けないと。それは、音楽とは呼べません」

この生徒たちもそうだが、スイソウガクをやる人間というのは、彼の言うように中学校の入学と同時に音楽を始めるというパターンが非常に多い。中学から始めて大成する人間もいる事はいる、が……どうやらプロの世界でそれは常識外れな事のようだ。物心がついた時からピアノに触れて育った人間は、そもそもの感覚が全く違うという。その感覚を万人に求めてしまうのが、小松菜緒也という指揮者であった。彼のスパルタ指導は独りよがりで狭量と見ることもできる。ただ、成果は間違いなく出てはいたのだった。彼の言う基礎ができていないと、実体化されるイメージも輪郭にほころびを生じてしまうのは事実である。

また、神経質な指摘に加え、表現の面でも彼の指導方針は特徴的だ。すなわち、彼はバロック時代のオーケストラのような、非常に上品な音楽を好むのである。それは彼が元来プロオーケストラの所属である事にも由来する。オーケストラとスイソウガクは見た目は似ているが、音楽性はそれなりに異なる。カレーとハヤシライスくらい違う。古典的なオーケストラのサウンドは、スイソウガクよりずっとシンプルで角の立たないものだ。例えばドラゴンの召喚などはきわめてスイソウガク的なモチーフで、オーケストラの古典であれば白馬などになるであろう。こうしたスイソウガクへのオーケストラ性の導入は忍術学園の生徒たちにも革新的なものであった。そしてひたすらに上品さを求められ、資料として西欧の貴族文化に触れているうちに……前述のように、ティータイムの実践などに踏み切るようになってしまったのである。現状の音楽室は、『忍』 という掛け軸と、額縁に飾られたバロック調絵画が共存している混沌具合だ。まあ高校の部室っぽいといえば確かにそうではあるが。

……が、結果が出ていることもあり、今の部員たちはそれなりにこの変化を受け入れた上で部活動を楽しんでいた。厳しい説教もされるが、それはそれ。皆で上を目指すのは楽しいものだ。質の向上も感じる。が……もちろん、常にそんな生徒ばかりというわけでもない。そのスイソウガクらしからぬ音楽性には反発する者もそれなりにおり、時期によっては部内が派閥に分かれ、若干荒れた。特に、活躍を奪われた金管楽器……トランペットやトロンボーンなど派手な楽器の奏者からの反発が大きく。その代表的な生徒こそ、転校前にこの部に所属していた、登呂爆美その人である。いや、結果として目立ってはいたものの、積極的に反発していたというよりも。運悪く、菜緒也に一番嫌われていたのが登呂だったのだ。



――5ヶ月前、4月。付属の中学校からエスカレーターで代々木忍術学園高等部に、登呂は進学した。忍軍の家に生まれた子供は例外なくこうした進路をとるのが普通だ。そもそも居住区も同じビル内にある。そして、中学校でスイソウガク部に所属していた生徒は、高校でもエスカレーターのように引き続きスイソウガク部に所属する。高校では中学で一緒だった先輩も待っているし、これも自然な流れである。登呂もそれにならって高等部のスイソウガク部に入部した。彼女は決して優秀な奏者というわけではなかったが、それまでの忍術学園の音楽性にマッチした、傍若無人ながらも主張のあるスタイルは中学時代にもそれなりに評価されていた。炎は勢いのある音楽のイメージとして汎用性もある。文字通り火力として期待されていたのであった。





30日間何も届かないとアカウントを消される恐怖のメールフォーム
*メルアドは空欄にしないでください(送れません)
*上のダミーアドレスでいいです。
*メルフォ借りてます



inserted by FC2 system